わりと日本にありがちなのに語られない不幸をぜんぶのせにするとこうなります

日本の全死因の8位にあがるのが自死です。※1

 

精神疾患のうち、うつ病とさほどかわらない程度に実は患者数が多いのは統合失調症です。※2

 

全死因3位の肺炎とほぼ同数、人工妊娠中絶しています。※3

 

父親が双極性障害統合失調症のどちらかで自殺し、父親の自殺の影響とも言えるうつ症状や人間関係の構築できなさを抱えたわたしは、苦しさから逃れるために間違った男に依存して中絶をした、というのがここでお話しているおおまかなストーリーです。

 

自分の体験を書き記している最中、緊急避妊薬のドラッグストアでの販売が却下されたニュースをみるにつけ、この国の愚かさや浅慮、物事の本質を見ない旧弊はあいかわらずだなと思わざるをえません。

https://toyokeizai.net/articles/-/246717

 

精神疾患は異常者

自殺は弱い人間がするもの

中絶は股のゆるいバカ女がするもの

そういう目に見えない圧力、口に出さない差別を感じながら、父親や自分が悪いのかと自問自答しながら生きてきました。

 

いま、胸をはって言えるのは、わたしが悪いわけでも、父親が悪いわけでもないということです。

苦しい中で、そのとき手のなかにある選択肢から、最適解を選ぼうとしただけです。

 

いいかえると、精神疾患が悪いわけではなく、自殺する人間が弱いのでなく、中絶を選ぶ女性が人として許されないわけではなく、

そうならざるを得ない背景がある、ということです。

 

表面で起こる出来事だけをみて判断することのいかに愚かか、想像力のないことか、ということです。

 

※1平成27年度人口動態統計

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai15/dl/gaikyou27.pdf

 

※2平成26年度患者調査

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/14/dl/01.pdf

 

※3平成28年度人工妊娠中絶件数

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/16/dl/kekka6.pdf

 

助けてとあのとき言えていたら 中絶後にコンビニ弁当を食べたあの日を振り返る

夏の盛りの頃でした。
運よく夏休み期間中でした。
手術の日まで何もないような顔で大学院に通っていました。
そのころたまたま御茶ノ水に行ったことをよく覚えています。
何をしても湧いて出る吐き気を感じながら、御茶ノ水の駅でみた総武線の黄色い電車や、いつもいる田舎のキャンパスとは見える景色がまったく違う都会の大学にぼんやりとしていました。
絶対にバレてはいけないという精神力でしょうか、いつもなら心地よいくらいの冷房が冷たく感じられても、襲ってくるつわりをこらえながら普通の顔をしてよく2時間も講義を聞けたものだと思います。
 
中絶の手術をしたのはおじさんの家の近くの産婦人科
あまり仔細を聞かずに手術をする、手慣れた産科医でした。
おそらく土地柄、そういう人も多いのでしょう。
二の腕に刺した麻酔が痛くて涙がでました。
声をあげようにも喉から音は出ませんでした。
目が覚めると粗方の処置は終わっていて、気持ち悪さと下腹部の痛みとが感じられました。
 
そのあと何晩か痛みが引くまでおじさんの家に泊まりました。
痛みももちろん、家族に嘘をついて外泊していることも、外泊している理由が中絶手術なのも。娘も母もいるおじさんの家に泊まっている罪悪感も、どれも自業自得なのですが、すべて地獄でした。
暗い部屋でコンビニ弁当を食べながら、中絶後の痛みに耐えるとはこれ何ぞ。
おじさんは仕事にいっているので夜遅くまで帰ってきません。
 
何してるんだろう、と思いました。
人間をやめたいというか、消えてなくなりたいというか。
19歳のときに自殺未遂をして、そのとき恐ろしくて自殺は自分にはできないと悟りました。そのかわりにもっと苦しい行を自分に強いていたのではないかと思います。
 
中絶から、おそらくひと月ほど、さほど経たずに、
おじさんは何食わぬ顔でセックスをしたがりました。
え、ええ、中絶というショッキングな出来事を経てもなお。
まあ、そうですよね。
そしてその後の数回をコンドーム試しましたが私が痛がるという理由ですぐにナマに戻りました。
 
ええ、それでも避妊をしたいと言えないわたしがいました。
それでも別れない自分がいました。
 
なんなんでしょうかこの地獄。
地獄でもまだしあわせと思っていた私は何なんでしょうか。
ゴムをつけないおじさんに、強く言えない自分に、不本意ながらピルを飲み始めました。
原理は知っていたので、ただしく服用していれば妊娠の可能性はほぼゼロというのには安心しましたが、それでも、本来、飲みたくないものでした。
薬全般なるべくのまない、というルールを敷いていたのと、そのときはタバコも吸っていたので、リスクは負いたくありません。
とはいえ、中絶アゲインのリスクと天秤にかけるとピルを飲むリスクのほうがはるかに低いです。リスクとメリットを勘案して信条を曲げて飲みましたが、おじさんは何の努力もしないこと、そしてそれに猛抗議するでも別れるでもなく、諾々とそれを許容する自分がたまらなくいやでした。
それでも行動を変えられない自分を責める悪循環です。なんでこんなに苦しいの。
たくさん心理学の本も読んだし、講義も受けたけど、出口はありませんでした。
 
なぜかとふりかえって思えば、わたしは相談することができない人間でした。
助けてと言えない人間でした。つらいと言えない人間でした。
そんなことを口に出そうものなら、私が悪いとさらに責められる、あるいは見下されると思っていました。 
いくら知識があっても、出口がなかったのは、だれにも言えなかったから、
だめな自分をさらけだして、助けを求められる人がいなかったから。
 
当時のわたしに、そして同じように苦しい思いをされている方へ、
大人になってからわたしが救われた話を引用しようと思います。
 
「助けを求めるという行為は、実は、すごく難しい」
優秀であればあるほど、他人に弱みをみせたり拒絶されるリスクを犯して他人に頼るくらいなら、我慢して助けを求めない傾向があります。
そして、追い詰められるほど、さらに助けてということは難しくなります。
※何が起きても自分が悪いと思う傾向がある場合-自己肯定感が低い人も助けてを言えない率が高いと思います。
 
だから、なるべく健康なときに、ちいさい頼み事をする癖をつけてください。席をとっておいてとか、プレステ貸してとか、なんでもいいです。とにかく、ちいさい頼み事をして、受け入れられたり、断られる体験を積んでください。そうすると、追い詰められたときでもだれかに助けてという行為のハードルが下がっていきます。

助けて、という行為は、実はすごく難しい。
だからそれを練習してできるようになることには価値があります

この話をきいてから、たくさん練習しました。おそるおそるお願いをしたらあなたが頼ってくれるのを待っていたよと歓迎されました。許せない過去が苦しくて助けてと相談したら、よく頑張ったねと抱きしめてもらいました。捻挫をして買物を頼んで断られたこともありましたが、別の友達は快く手助けしてくれました。頼ることが悪だと思っていたのが、周囲は温かく迎えて喜んでくれることもあると知ったら、世界はなんてやさしくて美しいのかと思うのです。
 
そのあと、さらに救われた一言を終わりに付け加えます。
「助けて」と相手を頼ることは、そのひとを信頼しているという愛の証明でもあるようです。(利用しようとするひとを除外する必要はありますが)
 
確かに、わたしが助けて、と頼った人達は、みんなわたしが大好きな人達です。わたしは助けて、ということで彼・彼女たちにちいさな愛してるよを伝えていたのかと思うと、それを受け取ってくれる人がいることのありがたさに、言葉がありません。
 
助けてと言うこと、人に頼ること、ちいさな悩み、大きな悩みをひとと共有すること、どれもすこしずつできるようになったいま、わたしが生きていてよかったと思えるように、あなたも生きていてよかったと思えますように。

地獄絵図とわかっていても、結婚しようと言われたかった

現実的に中絶できる期間は限られているので、事態をさくさく進めねばなりません。まずおじさんにいわねば。
 
まだ淡い期待がありました。結婚してふたりで頑張っていこう的なものがあるかもしれない。
それなら、先は地獄絵図まっしぐらでも、わたしがんばるよぉぉぉぉ。
 
妊娠したの、といったときのおじさんの反応は、「産んでもいいよ」でした。
 
産んでも、いい、とは何ぞ。うん、それは私の自由意思ということでしょうか。自分はいらないけどきみがどうしてもほしかったら自由にしたら、という意味ですか。
そうですよね。おじさんを紹介してくれた先輩も、彼の子を堕胎していましたね。
しかもその立ち合いは彼女の旦那がしていましたね。
その話を武勇伝のように語っていましたね。
ええ、予想はしていましたよ。
ええ、わたしにも生物的には子供を産みたいという本能がありますが、
それ以上にこの人とでは無理ですね。このひとはやっぱりクズですね。
 
せめて中絶の費用はお出しくださいね。
不安なんで一緒にいてくださいね。
 
これを認めたら、今までの人生はなんだったのか、もっと早くなぜみとめられなかったのかと時間に対する後悔が決壊しそうにあふれてきて、自分の人生を否定したくなるので認めないようにしてきたことがあるのですが、
自分の回復のために、ここで潔く認めようと思います。
 
恋愛結婚をした親の末路にも母単体にも裏切られたので、そんなものは夢幻だと思わざるを得なかったのですが。

本当は、ひとりの男性と好きだよって言い合って、結婚しようと言い合いたかったのです。
お互いあなたが一番で大事にしあおうねと約束をして、くだらない喧嘩をして、くだらない仲直りをして、子供を産み育てて、じーさんばーさんになるというフツウのことがしたかったのです。
 
いまでもそう思っています。
しかし、そんな普通のことが、単なる願望であっても、それを認めることはおろか、口に出すことすらもできなかったのです。
 
本当はディズニー映画のようなことを夢見ているのに、20歳も年上の離婚してるおじさんと、だれにも祝福されず、結婚もせず、ひとりで、家族にも馬鹿にされながら子育てするなんて絶対に無理です。
 
産まれて来ようとする生命体を殺す自分も、だれにも相談できない自分も、クズを選んだ自分も、そのクズにすがる自分も、そのクズにしか救われない自分も。
すべてが嫌でしたが、ぐだぐだポエムしていたら子供が生まれてしまいます。
こんな状況で生まれてきたら子供がかわいそうです。
わたしは産んだら育てるけど、でも決して幸せにしてあげられるとは言えません。

さて、中絶しましょうかね。すごく嫌ですけど。
 
 

脳の表面で近松ばりのポエムを披露するものの死にたいが深まる夏

予定日に生理は来ないし、吐き気はするし、妊娠検査薬を買いますよ。
家族にばれないように、駅のトイレで検査薬に付けたと記憶しています。
ええ、赤い線が入るわけで。死にたいと思いました。
 
ちなみに20歳上のおじさんとつきあっていることは母にも報告済で、
そのときの母の反応は、「それお母さんのせいだよね?」の一言でした。
ええ、その通りです。あなたの彼氏は12歳上のおじさんですね。
わたしはそれを見て育ったので20歳上のおじさんとおつきあいしてますよ。
22歳の若い身空で。
 
さらにいうと、そのおじさんに会ってほしいといったこともありまして。
その当時私はおじさんのことが好きだったし、それを母にも認めてほしいとも思っていたし、こころのそこで、無理にでも引き離してほしいとも思っていました。

母はといえば、一度は会うことに同意をしたのですが、
当日になって会いたくない、とキャンセルするのでした。
ええ、娘の応援をすることも、反対するなら本気で介入することも、どちらもしないんですね。臆病さというかわたしのことは大事ではないのねと思い、とてもがっかりしたことを覚えています。
ああまた悲しい出来事を思い出してしまった。
 
ということを考慮にいれても、家族には絶対に言えない。
 
暗澹たる気持ちで、いろんなことをシュミレーションしました。
 
産む、産まない。
産むとしたら、結婚したい ひとり親など無理だし嫌だ。
産んだら、金がかかる、おじさんには娘もいるし、そもそもそんなに稼ぎもよくない。
金を稼ぐには就職せねば。いや、わたしまだ大学院にいたいし勉強したい。
ということは休学して産むのか?大学院の年間授業料は200万円前後。奨学金で学費をこれ以上払うのは無理だ。
そもそもまったく働きたくなくて大学院に進学したんじゃないか。
 
それから、産むならひとりで育てるの無理だから手伝ってもらわないと。それには家族に言わないわけにも。いやいやいやいや、絶対に言えない。
 
それからおじさんと子育て…。結婚したとして、年齢的に母と同じくらいに死ぬな。親と旦那の介護がダブルで、子育てあって、義理の娘がいて…。
しかもわたしはいま大学院生でどんな就職になるかわからない。
就職したとして稼いだ金は奨学金返済と子供育てるのとたぶん旦那の介護と母の看取りと…全部私以外の誰かのために使う人生だな。
絵に描いたような地獄だな。
 
絶対にありえない。
 
だから、妊娠が発覚した時点で中絶することは決定事項でした。
 
冷徹な判断をする自分に、父親の脳死状態が長く続いたら人生が崩壊するから迷惑だなと考えていた自分や、父の遺体を前に涙も出ずウォークマンをもらうことを考えていた自分がよみがえって、なおさら死にたくなりました。

父親がむしろ死んだほうがいいんじゃないかと思っていた11歳と、
宿った命をためらいなく堕ろすと決めている22歳と、
何も変わっていない、むしろ人でないものに進化しているんじゃないかと空恐ろしく、そんなことを考える自分に対する罪悪感は募ります。BGMはこちら。
 
だからこそ、初めから中絶を決めている自分を否定したくて、おじさんのことが大好きなのに今世では結ばれない運命なのヨヨヨみたいな、近松なのか演歌なのかという悲劇のヒロイン妄想を爆発させておりました。
脳の表面で近松ポエミーしているバックグラウンドでは現実的すぎる未来予想を展開してほぼ即座に中絶することを決めていた自分への嫌悪感は増すばかりです。

「自分のことが嫌い」という言葉が出てこない代わりに、
さらに死にたい気持ちが深まる、暑いあつい夏でした。
 

唯一の味方が得られるなら、自分を傷つけることもいとわない

そうして、クズなことは承知のうえで、おじさんとのセックスにのめりこんでいた。
 
悪行の限りというか、悪徳の栄えというか、おっさんが考えそうなこと、世の中のポルノにあふれていることの大半はたぶんそこそこ経験した。
その当時は私自身がその行為を楽しんでいると思っていたけど、今考えるとけっこうに自己破壊的だった。
わたしの尊厳を無視した性行為で、自殺願望を代償しているような。
モノとして扱われる疑似体験をしていた。
うん。そのときはそれでたのしかったです。いまはもうしたいと思わない。
健康になったものだ。しみじみ。
 
かろうじての救いは、精神的な虐待やDVというようなことはまったくなく、行為の外には愛情があった。だからわたしは壊れなかった。
 
しかしですよ、毎回ナマでやってりゃ妊娠もするだろうさ。
ええまあありていに妊娠しますわ。
 
22歳の夏でした。母がわたしを産んだのも22歳でした。
 
因果なことに学校でその筋の勉強をしていたので、生理周期とそのメカニズム、体温の変化、妊娠しやすい時期すべて知っておりました。
体温も測っていたから排卵日だってばっちり知ってる。
なのに来ないなんてもう考えられるのはひとつしかない。
どこをどう切っても妊娠しておかしくない。

それだけの知識があってなお、正しく避妊をできない、言えないというところが異常の異常たるゆえんなのです。
知識があっても、その要求を通したら、唯一の味方を失うかもしれないと、それがこわくて、避妊をしないならセックスはしないとは言えなかったのです。

ああもう泣ける。
知識があることと行動できることは本当に別なのです。
 
 
 

21歳の女子大生は、彼氏ではなく擁護者がほしかった

ただ、おじさんが最悪で、バルスして7回滅びても足りないくらいにクズだったのは、
コンドームをしないこと。

はじめのころ、何度かつけてほしいと頼んだことはあったが
ゴム使ったら痛いとわめく私を理由にやめてしまった。
そして、「外に出せば大丈夫」という今考えるとクソ死ねな論理でナマでしていた。
書いているだけで吐き気がする。
ありえない。ゼリー使えばいいだけだろう。クズ。
滅しろ。ハゲ散らかして内臓をえぐられて蛆虫に食われて苦しんで何度でも死ね。
 
ふぅ。しかし当時のわたしはそんなことを言えるほど健康ではなかった。
むしろそのおじさんとのセックスが生きがい、というくらい病んでいた。
 
学校が終わったらいそいそとおじさんの職場へ行き、一緒にご飯を食べて
あるときはラブホで、あるときはおじさんの家に泊まってヤリまくっていた。
 
さらにおじさんの最悪列伝は続く。おじさんは離婚はしていたが、娘がいた。
娘のいる家に20歳そこそこの若い女を泊めるのか。
まじでクズだな。それについていくわたしもな。
 
ほんとうに、クズをクズともいえないくらい、
クズだとわかっていてもクズにすがるほど、わたしはどん底だった
 
10年前に死んだ父親の死因が自殺だと18歳のときに知ってから、
なんとかその苦しみを解消しようともがいていたけど救いはなかった。
ずっと死にたいと思いながら、うつ病にもなれず、
人並みの大学生活はこなしてしまい、表面上はエリート大学のフツウの大学生だった。
 
おじさんと付き合う前に告白してくれた先輩のほかに、そのあとも何人か告白してくれたけど、だれも信じられないと思っていた。
そのときのわたしの頭の容量は、父の自殺と中学生のときからいる母の彼氏と
それをうまく処理できない自分でうめられていたから。
多少の表面上楽しい会話はできても、ちかしい関係になったら、そのことをしゃべりたかったし、そのことをきいてほしかった。
 
同年代の男の子たちに家の話をして、それをジャッジされずに聞いてもらったことなどなかったから、彼らにこんなこと受け止められるはずもないと思っていた。
こころのうちをさらけだして傷つくくらいなら最初から言いたくもない。
そんな感じだったのでフツーのお付き合いとかどう考えても無理。
 
っていうところにおじさんは、人生経験の豊富さかもしれないし、彼の性格もあって、わたしがはじめて重苦しい家の事情を話すことができた人だった。
そして、いままで家族の話をすると、女手ひとつで育てた母をほめるひとばかりでだれにも理解されないと絶望していたわたしにとって、そのおじさんは、初めてできた味方だった。

あなたは悪くない、いくらほかの人が母の肩を持っても、お母さんがしていることはおかしい、とそう明言してくれたことで、わたしは、本当に、ほんとうに救われた。
 
唯一の味方が得られるなら、それが20歳も上のおじさんだろうが、
娘がいようが、コンドームをつけないクズだろうが、わたしはそれがほしい
だって、ほかにすがるものがない。




なぜ21歳の女子大生が、初体験の相手に20歳年上のおじさんを選んだか

初体験は大学4年の春。
 
20歳年上のひとだった。
サークルの先輩が以前付き合ってた人。
 
趣味が同じで何しろ話が合った。
そのほかのことも興味が似ていて、初対面で意気投合して酒を浴びるほど飲んだ。
処女は捨てたかったし、性行為がどういうものか試してみたかった
出合ったその日にベッドインです。あー、ベッドイン
 
この少し前に大学の先輩に告白されていたけど、その先輩とは距離が近すぎてお兄ちゃんというか、
そういう関係になることは想像できなかった。ダメ、近親相姦ダメ。
 
やってみたら痛かった。死ぬかと思った。感動のかけらもない。
でも、男の人が近くにいるのは居心地がよかった。
ひとの体温はいい。皮膚とその下に血の通ってる感じは安心するし、
自分といて性的興奮を覚える男の人をみて自尊心が高まった。それが刹那的なものであっても。
 
その一晩だけと思っていたのだけど、帰りがけにおじさんに熱烈に接吻かまされて、
なんとなく付き合うことになった(いま考えると吐く)
 
one night standなんて女のクズ、みたいな考えが根底にあって、
出会った当日にヤる自分、人間としてサイテーとも思っていた。りぼんで読んだみたいな恋愛すっとばして
初めて会った20歳上のおっさんと鶯谷で初体験なんて場末すぎて消え去りたい。絶対誰にも言えない。
しかし性行為を体験したい欲にまったくあらがえなかった自分を否定もできない。
 
いまだったらそんな既成概念、あっさり捨てるし、友達にも言う。きっとこんな風に。
処女捨てたくて酔っぱらっておっさんといたしてきた!
痛かった!チューされてきもかったから逃げた!不覚!
 
わりとありがちなイイコのhaveto思考と、
そのおじさんは趣味の分野ではめちゃくちゃイケていたというのと
超絶マッサージがうまい、というメリットを勘案して、なんとなく付き合い始めた。
たしなむ人が少ないディープな趣味の話ができたり、本を教えてもらったり、
かわいいかわいいとちやほやされたり
年が離れているからわたしも言いたい放題言えてまあまあ幸せだと思っていた。
 
 なぜおじさんを選んだのだろう。告白してくれた先輩でなく。次回に続きます。