助けてとあのとき言えていたら 中絶後にコンビニ弁当を食べたあの日を振り返る

夏の盛りの頃でした。
運よく夏休み期間中でした。
手術の日まで何もないような顔で大学院に通っていました。
そのころたまたま御茶ノ水に行ったことをよく覚えています。
何をしても湧いて出る吐き気を感じながら、御茶ノ水の駅でみた総武線の黄色い電車や、いつもいる田舎のキャンパスとは見える景色がまったく違う都会の大学にぼんやりとしていました。
絶対にバレてはいけないという精神力でしょうか、いつもなら心地よいくらいの冷房が冷たく感じられても、襲ってくるつわりをこらえながら普通の顔をしてよく2時間も講義を聞けたものだと思います。
 
中絶の手術をしたのはおじさんの家の近くの産婦人科
あまり仔細を聞かずに手術をする、手慣れた産科医でした。
おそらく土地柄、そういう人も多いのでしょう。
二の腕に刺した麻酔が痛くて涙がでました。
声をあげようにも喉から音は出ませんでした。
目が覚めると粗方の処置は終わっていて、気持ち悪さと下腹部の痛みとが感じられました。
 
そのあと何晩か痛みが引くまでおじさんの家に泊まりました。
痛みももちろん、家族に嘘をついて外泊していることも、外泊している理由が中絶手術なのも。娘も母もいるおじさんの家に泊まっている罪悪感も、どれも自業自得なのですが、すべて地獄でした。
暗い部屋でコンビニ弁当を食べながら、中絶後の痛みに耐えるとはこれ何ぞ。
おじさんは仕事にいっているので夜遅くまで帰ってきません。
 
何してるんだろう、と思いました。
人間をやめたいというか、消えてなくなりたいというか。
19歳のときに自殺未遂をして、そのとき恐ろしくて自殺は自分にはできないと悟りました。そのかわりにもっと苦しい行を自分に強いていたのではないかと思います。
 
中絶から、おそらくひと月ほど、さほど経たずに、
おじさんは何食わぬ顔でセックスをしたがりました。
え、ええ、中絶というショッキングな出来事を経てもなお。
まあ、そうですよね。
そしてその後の数回をコンドーム試しましたが私が痛がるという理由ですぐにナマに戻りました。
 
ええ、それでも避妊をしたいと言えないわたしがいました。
それでも別れない自分がいました。
 
なんなんでしょうかこの地獄。
地獄でもまだしあわせと思っていた私は何なんでしょうか。
ゴムをつけないおじさんに、強く言えない自分に、不本意ながらピルを飲み始めました。
原理は知っていたので、ただしく服用していれば妊娠の可能性はほぼゼロというのには安心しましたが、それでも、本来、飲みたくないものでした。
薬全般なるべくのまない、というルールを敷いていたのと、そのときはタバコも吸っていたので、リスクは負いたくありません。
とはいえ、中絶アゲインのリスクと天秤にかけるとピルを飲むリスクのほうがはるかに低いです。リスクとメリットを勘案して信条を曲げて飲みましたが、おじさんは何の努力もしないこと、そしてそれに猛抗議するでも別れるでもなく、諾々とそれを許容する自分がたまらなくいやでした。
それでも行動を変えられない自分を責める悪循環です。なんでこんなに苦しいの。
たくさん心理学の本も読んだし、講義も受けたけど、出口はありませんでした。
 
なぜかとふりかえって思えば、わたしは相談することができない人間でした。
助けてと言えない人間でした。つらいと言えない人間でした。
そんなことを口に出そうものなら、私が悪いとさらに責められる、あるいは見下されると思っていました。 
いくら知識があっても、出口がなかったのは、だれにも言えなかったから、
だめな自分をさらけだして、助けを求められる人がいなかったから。
 
当時のわたしに、そして同じように苦しい思いをされている方へ、
大人になってからわたしが救われた話を引用しようと思います。
 
「助けを求めるという行為は、実は、すごく難しい」
優秀であればあるほど、他人に弱みをみせたり拒絶されるリスクを犯して他人に頼るくらいなら、我慢して助けを求めない傾向があります。
そして、追い詰められるほど、さらに助けてということは難しくなります。
※何が起きても自分が悪いと思う傾向がある場合-自己肯定感が低い人も助けてを言えない率が高いと思います。
 
だから、なるべく健康なときに、ちいさい頼み事をする癖をつけてください。席をとっておいてとか、プレステ貸してとか、なんでもいいです。とにかく、ちいさい頼み事をして、受け入れられたり、断られる体験を積んでください。そうすると、追い詰められたときでもだれかに助けてという行為のハードルが下がっていきます。

助けて、という行為は、実はすごく難しい。
だからそれを練習してできるようになることには価値があります

この話をきいてから、たくさん練習しました。おそるおそるお願いをしたらあなたが頼ってくれるのを待っていたよと歓迎されました。許せない過去が苦しくて助けてと相談したら、よく頑張ったねと抱きしめてもらいました。捻挫をして買物を頼んで断られたこともありましたが、別の友達は快く手助けしてくれました。頼ることが悪だと思っていたのが、周囲は温かく迎えて喜んでくれることもあると知ったら、世界はなんてやさしくて美しいのかと思うのです。
 
そのあと、さらに救われた一言を終わりに付け加えます。
「助けて」と相手を頼ることは、そのひとを信頼しているという愛の証明でもあるようです。(利用しようとするひとを除外する必要はありますが)
 
確かに、わたしが助けて、と頼った人達は、みんなわたしが大好きな人達です。わたしは助けて、ということで彼・彼女たちにちいさな愛してるよを伝えていたのかと思うと、それを受け取ってくれる人がいることのありがたさに、言葉がありません。
 
助けてと言うこと、人に頼ること、ちいさな悩み、大きな悩みをひとと共有すること、どれもすこしずつできるようになったいま、わたしが生きていてよかったと思えるように、あなたも生きていてよかったと思えますように。