地獄絵図とわかっていても、結婚しようと言われたかった

現実的に中絶できる期間は限られているので、事態をさくさく進めねばなりません。まずおじさんにいわねば。
 
まだ淡い期待がありました。結婚してふたりで頑張っていこう的なものがあるかもしれない。
それなら、先は地獄絵図まっしぐらでも、わたしがんばるよぉぉぉぉ。
 
妊娠したの、といったときのおじさんの反応は、「産んでもいいよ」でした。
 
産んでも、いい、とは何ぞ。うん、それは私の自由意思ということでしょうか。自分はいらないけどきみがどうしてもほしかったら自由にしたら、という意味ですか。
そうですよね。おじさんを紹介してくれた先輩も、彼の子を堕胎していましたね。
しかもその立ち合いは彼女の旦那がしていましたね。
その話を武勇伝のように語っていましたね。
ええ、予想はしていましたよ。
ええ、わたしにも生物的には子供を産みたいという本能がありますが、
それ以上にこの人とでは無理ですね。このひとはやっぱりクズですね。
 
せめて中絶の費用はお出しくださいね。
不安なんで一緒にいてくださいね。
 
これを認めたら、今までの人生はなんだったのか、もっと早くなぜみとめられなかったのかと時間に対する後悔が決壊しそうにあふれてきて、自分の人生を否定したくなるので認めないようにしてきたことがあるのですが、
自分の回復のために、ここで潔く認めようと思います。
 
恋愛結婚をした親の末路にも母単体にも裏切られたので、そんなものは夢幻だと思わざるを得なかったのですが。

本当は、ひとりの男性と好きだよって言い合って、結婚しようと言い合いたかったのです。
お互いあなたが一番で大事にしあおうねと約束をして、くだらない喧嘩をして、くだらない仲直りをして、子供を産み育てて、じーさんばーさんになるというフツウのことがしたかったのです。
 
いまでもそう思っています。
しかし、そんな普通のことが、単なる願望であっても、それを認めることはおろか、口に出すことすらもできなかったのです。
 
本当はディズニー映画のようなことを夢見ているのに、20歳も年上の離婚してるおじさんと、だれにも祝福されず、結婚もせず、ひとりで、家族にも馬鹿にされながら子育てするなんて絶対に無理です。
 
産まれて来ようとする生命体を殺す自分も、だれにも相談できない自分も、クズを選んだ自分も、そのクズにすがる自分も、そのクズにしか救われない自分も。
すべてが嫌でしたが、ぐだぐだポエムしていたら子供が生まれてしまいます。
こんな状況で生まれてきたら子供がかわいそうです。
わたしは産んだら育てるけど、でも決して幸せにしてあげられるとは言えません。

さて、中絶しましょうかね。すごく嫌ですけど。